八街薫の日記
技術士(電気電子、情報工学、総合技術監理)を持つ計測制御系エンジニアです。継続研鑽の一環として資格取得等にチャレンジする様を描きます。
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技術士(電気電子部門)受験体験 その8
最後に5回の受験失敗から学んだことをいくつか
書いておこうと思う。
これらは、技術士受験に限ったことではない。

1.「題意を外した答案は評価されない」
  これは試験の基本であり当たり前のことなのだが、
  問題の読み違えや自分勝手な解釈などにより、
  題意を外していることが意外に多いのではないだろうか?
  むしろ、一歩踏み込んで題意を外さずに書いている
  ことを採点官に積極的にアピールできるような章立てを
  作って記述すべきである。
2.「過去問分析を徹底して行う」
  過去問を分析して出題者の意図をつかむ努力が重要
  である。それをつかむことができれば、自ずと対策
  範囲が決まるし、精度の高い出題予想が可能になる。
  どんな問題が出そうか見当もつかない状態であれば、
  分析が不十分なのか、実力が足りないかのどちらかで
  ある。
3.「チャンスを確実にものにする」
  出題内容に運・不運はあるが、何回か受験すれば必ず
  チャンスは巡ってくる。チャンスが巡ってきたときに
  確実にものにしないとツキは逃げてしまう。しっかり
  実力をつけて試験に臨もう。
4.「あきらめない」
  いろいろな意味であきらめの悪さが重要である。
  途中で棄権したくなることもあるが、少しでも可能性が
  あるのなら粘ってみたらどうだろう。私は、自分の
  あきらめの悪さに助けられたことが一度ならずある。

最後は自分に言い聞かせるつもりで書いた。
あと1か月と少し、最後まであきらめずにもがいてみる
つもりだ。
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技術士(電気電子部門)受験体験 その7
受験6度目で初めて筆記試験を突破した。
本当に長かった。しかし、感慨にふけっている
余裕はなかった。口頭試験でミスをすれば、それで
終わりである。翌年に一から出直すことはとても
できないと思った。「何が何でも今年で決めるしか
ない」そう思った。

翌日、筆記試験対策の講座でお世話になったところの
口頭試験対策講座に申し込みをした。

週明けの月曜日に技術士会の発表会場に足を運んだ。
どうしても自分の名前が掲示されているところを自分の
目で確かめたかったのだ。
自分の名前をそこに見たとき、はじめて実感が湧いて
きた。

口頭試験は12月10日(土)の午後に決まった。再現
論文の講座評価に対する補足をしたり、想定問答集を
作成したりしているうちに、すぐに3週間が経過した。

直前の日曜日に模擬面接を受けた。しゃべることが
こんなに難しいとは思わなかった。そのことがわかった
だけでも大きな収穫だった。

試験直前の一週間は業務の山と重なってしまい、模擬面接
で指摘を受けた注意点のフォローと想定問答集の記憶だけ
しかできなかった。
試験日の前夜、妻に想定問答集を渡して最後の練習をした。
話すときに「え~」を連発する癖を指摘してもらったこと
が大変役立った。

試験当日は会場である渋谷のフォーラムエイトに一時間半
程度の余裕を見て到着した。待合い室は暑くて重苦しい
雰囲気だったので、道玄坂を少し上がったところにある
コーヒーショップで時間をつぶし、40分前くらいに戻った。
満足のいく準備ができなかったので、逆に「試験官と会話を
楽しんでこよう」という開き直りにも似た精神状態になった
ことが幸いした。まったくあがることなくその時を待つことが
できた。

「0403*****番、八街薫さん」。ついに呼び出しがあった。
呼び出しの髪の長い女性についていくと、試験会場は一番
奥にある会議室だった。

意外だったのは試験官が4人もいたことだ。次から次へと
質問が来るので、対応が大変だったが、意外と落ち着いて
回答している自分を意識した。
印象に残ったのは、ホワイトボードを使って現在の業務に
関する即席のプレゼンをやらされたことだ。図表を書いて
説明したので非常に疲れたことを覚えている。
今年は、口頭試験が45分になるとのことだ。ホワイトボード
を使ったプレゼンを10分程度課されることになっても
不思議はないだろう。

質問の内容は以下のようなものだった。
1.あなたの代表的な業績を3,4つと経歴について
2.業績に関する質問(立場、技術的内容、業績の位置づけなど)
3.なぜ技術士になりたいのか?
4.公益の確保とは?
5.あなたの会社に技術士はいるか?
6.資質の向上について
7.所属学会は?
8.アカウンタビリティについて
9.コンサルタントになったとしてどんな分野で指導ができるか?

口頭試験は30分たっぷりかかった。途中で挑発的とも受け取れる
質問もあったが、うまくやり過ごすことができ、概ね和やかな
雰囲気で進んだので、終わったときにはほぼ合格を確信した。

2006年2月10日の朝、6時少し前に目を覚まし、パソコン
の電源を立ち上げた。技術士会のホームページにはすぐに
つながり、電気電子部門の合格発表掲示に自分の名前を発見した。
「合格だ。ヤッター。」まだ寝ている妻にも声をかけた。
「よかったね。おめでとう。」と妻。

本当に長かった。うれしいというよりもホッとしたという方
が当たっているような気がする。

この年の電子応用の合格者数は7名(6.5%)であった。

(つづく)
技術士(電気電子部門)受験体験 その6
2004年度は、第二種電気主任技術者と電気通信
主任技術者の伝送交換主任技術者と線路主任技術者
に合格した。

これらの資格は技術士に合格するために、電気電子
全般の知識を身に付けるための手段と考えていた
ので、合格はうれしかったが感動はなかった。

2004年度の成績通知で自分の弱点は明らかに
なった。後は2005年度に合格するしかないでは
ないか。自分にそう言い聞かせた。

経験論文については、通信教育でわかりづらいとの
指摘を受けた業績を採り上げるのは止めた。その代わりに
10年以上前の業績ではあるが課題が明確で解決策も
わかりやすい業績を選択した。

これまでは、業績選択の基準として、特許の件数や
学会発表の有無などを重視していたが、わかりやすく
なければ採点者から高い評価は得られないことにようやく
気づいたのだ。

また、例年準備論文は完全に暗記して試験に臨んでいた
のだが、この年はそのやり方を止めた。「技術課題」、
「解決策」、「結果」はどんな形式の出題でも必ず必要
となる部品なので、そこだけはほぼ暗記したが、その他
の部分は変わりうる部分なので特に覚えなかった。
想定される出題パターンを何パターンか用意し、それぞれ
に対しどう対応するかのシミュレーションだけを頭の中で
繰り返した。

専門問題については、無線に関連する問題がよく目に
付くので、陸上無線技術士の勉強を並行して行うことに
した。勉強を始めると、過去問で見た無線関連キーワードの
多くが無線工学Aの教科書に載っていることに気がついた。
私は、無線関連の出題のネタ本は無線工学Aの教科書である
と確信した。

前年度の予想問題は方向としては間違っていないと思った
ので、それにプラスして次のような予想を立てた。
1.D/A変換におけるアパーチャ効果
2.スペクトル拡散通信方式の特徴と応用例
3.バイオメトリクスを使った認証技術の動向
4.PLLの原理、応用例
5.マルチコア技術の登場の背景と特徴
6.ミリ波の特徴とその応用例

試験当日はやはり暑かった。受験者の数は13年度以前のレベル
にかなり近づいたように感じられた。

午前の経験論文はまた大きく変わっていた。予想したパターン
とは全く違っていたので、論文構成を一から練り直す必要が
あった。この時間として予め20分程度見ておいたのだが、
書くスピードが思ったほど上がらなかったので、最後は時間との
勝負になってしまった。「結果」まで書いたところで、図を
書き始めたのだが、思いの外時間がかかり、ミミズののたくった
ような線で図を書き終わったところでタイムアップ。
論文は尻切れとんぼで、半ページ以上も残していたが、「以上」
を書いて終わるしかなかった。
まさか、こんな羽目になるとは。今年もだめかもしれないと
覚悟した。
ただ、文章としては一応完結はしているので、一縷の望みにかけ
午後に臨むことにした。

午後の問題は「当たり」だった。専門問題で予想していた「PLL」
がほぼ修正無しで書けた上、「バイオメトリクス認証」についても
専門問題ではなかったが、教養問題に類題が出題された。
その他の専門問題は記憶をたどって書けるものばかりだったので、
専門問題は13年度以降で最高の出来であった。

教養問題は択一が13/15問で、論文もほぼ完璧であった。

午前の時間配分のミスが悔やまれた。せっかく午後が最高の出来
であったというのに。

筆記合格発表の日、私は地方に出張していた。翌日の夜、おそらく
だめだろうと思いながらネットで発表掲示を検索した。すると、
思いがけなく自分の番号がそこにあった。「やった」と思ったが
素直に喜べる気持ちにはなれなかった。「このチャンスを絶対に
ものにしなければ。」

(つづく)
技術士(電気電子部門)受験体験 その5
私は、毎年変化し続ける試験問題に翻弄されて
いるような気がした。毎年ほとんど問題傾向が変化
しない部門の受験者がうらやましかった。
このまま受け続けても合格できないかもしれない、
そんな弱気が頭をもたげてきた。

私は、もう一度通信教育を受けることを決意し、以前から
注目していた、ある講座の主宰者にメールをした。
過去に受けた講座の指導技術士の指導内容に疑問を感じた
ことや、専門的に近い技術士の指導を希望していること
などを伝えた。
主宰者からの返事は満足できるものだったので、その講座
に申し込んだ。

その講座は、指導カリキュラムが非常に洗練されていて
わかりやすいものだった。むだな部分はほとんどなかった。
指導技術士の論文指導のコメントも適切で満足できるもの
だった。

過去問をどのように分析すれば良いか、そのヒントもこの
講座から学んだ。過去の問題がどのような意図で出題されて
いるか、そのキーとなる考えを読みとることができれば
自ずから対策すべき範囲が決まることを知った。

電子応用の専門問題の出題の意図はなかなか掴めなかったが、
出題方針を決めている人物の考えがわかれば参考になるのでは
ないかと考えた。文部科学省の「技術士分科会試験部会委員名簿」
で電気電子の専門委員の名前を調べたところ、中央大学の先生
が弱電関連の担当であることがわかった。

その方は、JABEE推進の中心的な人物で、専門分野は、
回路、ネットワーク、システムの理論的研究(移動体通信と
空間データ基盤の研究も含む)であること等がわかった。
また、学生へのメッセージとして、マルチメディア技術、
情報通信ネットワーク技術の重要性を強調されていた。

平成14年度あたりからの問題傾向の変化の理由が少し見えて
きたような気がした。最重点対策項目として、デジタル信号
処理、無線通信、デバイスを挙げ、対策を行った。

専門問題の予想問題としては次のような内容を準備した。

1.A/D変換の高精度化技術
2.LSIの省電力化技術
3.OFDMの説明と応用分野
4.ディジタルフィルタのアナログフィルタに対する優位点
5.電力用半導体の課題と技術動向
6.半導体式センサ

経験論文は、前年が2例詳述になったことに対応し、2つの
業績について論文をまとめていた。新たに追加した業績は
自分としては自信のあるものだったが、わかりづらいという
ことで最後まで70%以上の評価はもらえなかった。

試験当日は非常に暑い日だった。
受験者数は前年よりも若干回復したようだが、まだまだ
少なかった。

午前の経験論文の問題は、また大きく変わっていた。
2例詳述は変わらなかったので、準備論文を題意に合うように
変更し事なきを得た(と、このときは思っていた・・・)。

午後の専門問題は「雑音指数」、「RTL」等のキーワード
の意味がわからず、6割取れたかどうか微妙な状態だった。
教養問題は、択一が12/15問で、論文もほぼ満足のいく
出来であった。

専門問題が6割に届いたかどうかが勝負の分かれ目と思われた。

そして、筆記合格発表の日を少し期待しながら迎えた。
しかし、自分の番号はなかった。

翌日、成績通知が届いた。この年から成績通知がなされるように
なったのだ。「C」,「B」,「A」という結果だった。

私は我が目を疑った。経験論文がなぜ「C」なのだ。採り上げた
業績は添削でもお墨付きをもらったはずのものなのに。

理由は、再現論文を通信講座に送り、評価をしてもらって判明
した。再現論文の内容は題意に沿っていないので「C」は当然
という評価であった。

私は全くの勘違いをしていた。経験論文は、「業績の概要」,
「技術課題」,「解決策」,「結果」,「現在から見た評価」
というような構成を取るべきで、題意に沿った論文とするためには、
この構成を基本的には崩さずに、問題の指定事項を随所に盛り
込めば良いと考えていたのだ。
そうではなく、問題の指定事項に対応した章立てとし、題意に
忠実な構成を作った上で、「技術課題」,「解決策」,「結果」
などを盛り込んでいく必要があったのだ。

経験論文とは、予め論文を準備して暗記し、それを試験当日に
はき出すものという先入観に支配されていた。確かに、その
やり方で対応できる部門は多かったし、電子応用も平成14年度
まではそのやり方で通用した。
しかし、その考え方は平成15年度以降は改めなければならなかった。

2004年度の電子応用の合格者は3名(4.1%)であった。

(つづく)
技術士(電気電子部門)受験体験 その4
技術士の受験をはじめたときに、3回も受験すれば
受かるだろうと楽観的に構えていた。
ところが、既に4年目に突入である。私はあせりを
感じ始めていた。

経験論文は、前年度に十分ブラッシュアップできた
という自信があったので、特別な対策は行わないことに
した。

教養問題についても合格点を取れる自信がついたので、
前年度の二次試験で不合格になった、電験二種をペース
メーカにして強電知識の維持・強化をはかることにした。

問題は、前年度からの専門問題の傾向変化への対応で
あった。過去問の分析を再度行い、信号処理,半導体,
回路学等の基礎事項を中心にキーワードを拾い集め、
関連書籍をあたった。的がうまく絞れず、時間がかかる
割には進んでいるという実感が得られないまま本番に
臨むことになった。

2003年度からは一次試験合格が必須となったため、
受験者は大幅に減った。試験場となる大学の最寄りの
駅は例年受験者であふれていたが、この年は全く様子が
違っていた。受験者らしき人がほとんど見あたらなかった。

教室の部屋割りも、これまでは電気電子部門で1室割り当て
られていたのに、この年は4部門くらいが同じ試験室に
なった。

午前の経験論文の問題はサプライズ出題だった。これまで、
電子応用は1例詳述のパターンが少なくとも20年以上
続いていたのに、この年は2例詳述になったのだ。
しかも、5つの指定された観点から2つを選んで
それぞれ記述することが求められていた。
何とか、2つの業績について論文を書き上げることはできたが、
今考えると、題意への対応が必ずしも十分ではなかった。

午後は専門問題に苦しめられた。知らないキーワードが
4つもあり、問題選択の余地が全くなかった。

教養問題については、択一が15問中10問前後、論文が
完答であった。

この年の成績はB(C),B(C),Aくらいであったと
思う。安心していた経験論文で虚を突かれ、専門問題に対する
対策は不十分で、散々な出来であった。
試験を終了した時には脱力感しか感じなかった。

この年の電子応用の合格者数は3名(10.7%)であった。


(つづく)

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